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裸の島

裸の島

瀬戸内海の孤島に往む夫婦と子供たちの自然との戦いを記録したもので、「第五福竜丸」に続いて新藤兼人が自らの脚本を監督したセリフなしの映画です。撮影は「らくがき黒板」の黒田清巳。十三人のスタッフで作られた。90歳を越えても現役監督である新藤兼人の一切の台詞を廃した実験的な意欲作です。経営危機にあった近代映画協会の解散記念作品にと、キャスト2人・スタッフ11人、500万円の低予算で製作されました。1961年にモスクワ国際映画祭グランプリを始め、数々の国際映画祭で受賞、世界60カ国以上で上映されました。興行的に成功、近代映画協会は解散を免れました。

カタルシスを味わう

あらすじ

瀬戸内海の一孤島。周囲約五〇〇メートル。この島に中年の夫婦と二人の子供が生活していた。孤島の土地はやせているが、夫婦の県命な努力で、なぎさから頂上まで耕されている。春は麦をとり、夏はさつま芋をとって暮らす生活だ。島には水がない。畑へやる水も飲む水も、遥るかに見える大きな島からテンマ船でタゴに入れて運ぶのだ。夫婦の仕事の大半は、この水を運ぶ労力に費いやされた。子供は上が太郎、下が次郎、太郎は小学校の二年生で、大きな島まで通っている。ある日、子供たちが一匹の大き鯛を釣りあげた。夫婦は子供を連れて、遠く離れた町へ巡航船に乗っていく。鯛を金にかえて日用品を買うのだ。暑い日の午後、突然太郎が発病した。孤島へ医者が駈けつけた時、太郎はもう死んでいた。葬式が終り、夫婦はいつもと同じように水を運ぶ。突然、妻は狂乱して作物を抜き始める。訴えかけようのない胸のあたりを大地へたたきつけるのだ。夫は、それをだまってただ見つめている。泣いても叫んでも、この土の上に生きてゆかねばならないのだ。灼けつく大地へへばりついたような二人の人間は、今日もまた、明日もまた、自然とはげしくたたかっていくのである。

概要

本作は近代映画協会の解散記念として、キャスト2人、スタッフ11人が瀬戸内海ロケを敢行したもので、撮影期間1ヶ月、わずか550万円という低予算で作られました。これにより、極端に低い製作費で優れた作品を撮ることができることを証明したのです。

受賞

本作はモスクワ国際映画祭グランプリ、メルボルン国際映画祭グランプリ、エディンバラ国際映画祭銀賞、ベルリン国際映画祭セルズニック銀賞、諸国友好のための親善映画祭グランプリ、マンハイム映画祭グランプリ、宗教と人間の価値映画祭国際ダグ・ハマーショルド賞、キネマ旬報ベストテン6位と数々の賞に輝いています。

キャスト

  • トヨ:乙羽信子
  • 千太:殿山泰司
  • 太郎:田中伸二
  • 次郎:堀本正紀

スタッフ

  • 監督:新藤兼人
  • 脚本:新藤兼人
  • 製作:新藤兼人,松浦栄策
  • 撮影:黒田清巳
  • 美術:新藤兼人
  • 音楽:林光
  • 録音:丸山国衛
  • 照明:永井俊一
  • 編集:榎寿雄

近代映画協会

新藤兼人の息子の新藤次郎が社長を引継ぎ、テレビドラマも多数作っている近代映画協会は、日本の映画会社です。1950年(昭和25年)、新藤兼人、吉村公三郎、殿山泰司らが設立しました。1950年(昭和25年)7月31日、松竹を退社した当時脚本家の新藤兼人、映画監督の吉村公三郎、俳優の殿山泰司、映画プロデューサーの絲屋寿雄らが設立しました。1952年(昭和27年)、新藤が監督した『原爆の子』に大映のスター女優乙羽信子が主演、それとともに大映を退社、同社に入社しました。

『裸の島』と近代映画協会

1960年(昭和35年)、同じく新藤が監督した『裸の島』は、資金難による同社の解散記念作品として企画・製作された作品でした。翌1961年(昭和36年)の第2回モスクワ国際映画祭で発表されるや、グランプリ獲得の前から各国の映画バイヤーの申し入れが相次ぎ、同作の上映権の売却益によって、会社設立以来の累積赤字を解消することができました。

配給作品

松竹や新東宝から配給される作品もありましたが、設立第1作は、絲屋がプロデュース、新藤脚本・吉村監督、水戸光子・森雅之主演による長篇劇映画『戦火の果て』で、同作は大映が配給し、同年9月16日に劇場公開されました。以降、大映との提携が続いましたが、吉村と新藤の作品については、ケースバイケースで同社製作の場合と大映製作の場合があります。

受賞

『裸の島』は3度グランプリを受賞したモスクワ国際映画祭では、2003年(平成15年)に特別賞を受賞しています。1996年(平成8年)に第14回川喜多賞、1997年(平成9年)に文化功労者、2002年(平成14年)に文化勲章を授与されました。また、映画を通じて平和を訴え続けた功績により、2005年(平成17年)に谷本清平和賞を受賞しました。「多くの傑作映画を世に送り出し、日本最高齢現役監督として映画「一枚のハガキ」を完成させた」として、2011年(平成23年)に第59回菊池寛賞を受賞しました。

関わった作品履歴

  • 『戦火の果て』 : 監督吉村公三郎、配給大映、1950年
  • 『原爆の子』 : 監督新藤兼人、共同製作劇団民藝、配給北星、1952年
  • 『縮図』 : 監督新藤兼人、配給新東宝、1953年
  • 『慾望』 : 監督吉村公三郎、配給大映、1953年
  • 『夜明け前』 : 監督吉村公三郎、共同製作劇団民藝、配給新東宝、1953年
  • 『女の一生』 : 監督新藤兼人、配給新東宝、1953年
  • 『足摺岬』 : 監督吉村公三郎、配給北星、1954年
  • 『どぶ』 : 監督新藤兼人、配給新東宝、1954年
  • 『若い人たち』 : 監督吉村公三郎、共同製作全銀連、配給新東宝、1954年
  • 『狼』 : 監督新藤兼人、共同製作独立映画、1955年
  • 『嫁ぐ日』 : 監督吉村公三郎、配給松竹、1956年
  • 『女優』 : 監督新藤兼人、配給新東宝、1956年
  • 『第五福竜丸』 : 監督新藤兼人、共同製作新世紀映画、配給大映、1959年
  • 『裸の島』 : 監督新藤兼人、1960年
  • 『人間』 : 監督新藤兼人、配給ATG、1962年
  • 『母』 : 監督新藤兼人、1963年
  • 『鬼婆』 : 監督新藤兼人、共同製作東京映画、配給東宝、1964年
  • 『悪党』 : 監督新藤兼人、共同製作東京映画、配給東宝、1965年
  • 『こころの山脈』 : 監督吉村公三郎、共同製作 本宮方式映画製作の会、配給東宝、1966年
  • 『本能』 : 監督新藤兼人、配給松竹、1966年
  • 『堕落する女』 : 監督吉村公三郎、配給松竹、1967年
  • 『性の起原』 : 監督新藤兼人、配給松竹、1967年
  • 『眠れる美女』 : 監督吉村公三郎、配給松竹、1968年
  • 『藪の中の黒猫』 : 監督新藤兼人、共同製作日本映画新社、配給東宝、1968年
  • 『かげろう』 : 監督新藤兼人、配給松竹、1969年
  • 『触角』 : 監督新藤兼人、共同製作日本映画新社、配給東宝、1970年
  • 『裸の十九才』 : 監督新藤兼人、配給東宝、1970年
  • 『甘い秘密』 : 監督吉村公三郎、配給松竹、1971年
  • 『鉄輪 (かなわ)』 : 監督新藤兼人、配給ATG、1972年
  • 『讃歌』 : 監督新藤兼人、共同製作・配給ATG、1972年
  • 『混血児リカ ハマぐれ子守唄』 : 監督吉村公三郎、共同製作オフィス203、配給東宝、1973年
  • 『心』 : 監督新藤兼人、共同製作・配給ATG、1973年
  • 『わが道』 : 監督新藤兼人、共同製作「わが道」製作実行委員会、1974年
  • 『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』 : 監督新藤兼人、配給ATG、1975年
  • 『竹山ひとり旅』 : 監督新藤兼人、共同製作・配給ジャンジャン、1977年
  • 『絞殺』 : 監督新藤兼人、配給ATG、1979年
  • 『さくら隊散る』 : 監督新藤兼人、共同製作天恩山五百羅漢寺、配給独立映画センター、1988年
  • 『?東綺譚』 : 監督新藤兼人、配給東宝・ATG、1992年
  • 『午後の遺言状』 : 監督新藤兼人、配給日本ヘラルド映画・ヘラルド・エース、1995年
  • 『生きたい』 : 監督新藤兼人、配給日本ヘラルド映画、1999年
  • 『アドレナリンドライブ』:監督矢口史靖、配給日本出版販売・ゼアリズエンタープライズ、1999年
  • 『三文役者』 : 監督新藤兼人、共同配給東京テアトル、2000年
  • 『群青の夜の羽毛布』 : 監督磯村一路、配給ギャガ・コミュニケーションズ、2002年
  • 『ふくろう』 : 監督新藤兼人、共同製作・共同配給シネマ・クロッキオ、2004年
  • 『雨鱒の川』 : 監督磯村一路、配給ミコット・エンド・バサラ、2004年
  • 『サヨナラCOLOR』 : 監督竹中直人、配給ザジフィルムズ、2005年
  • 『石内尋常高等小学校 花は散れども』 : 監督新藤兼人、配給シネカノン、2008年
  • 『能登の花ヨメ』 : 監督白羽弥仁、配給ゼアリズエンタープライズ、2008年
  • 『一枚のハガキ』 : 監督新藤兼人、配給東京テアトル、2011年 
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