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さくら隊散る

さくら隊散る

『さくら隊散る』は、昭和20年8月6日、広島で原爆のため命を落とした移動演劇隊「櫻隊」の九人の演劇人の足跡を再現ドラマと縁の人々の証言で描くドキュメンタリー。1988年に近代映画協会と天恩山五百羅漢寺が製作し、独立映画センターが配給した日本映画です。江津萩枝原作のルポルタージュ『櫻隊全滅』の映画化で、脚本・監督は「ハチ公物語」(脚本のみ)の新藤兼人、撮影は、「落葉樹」の三宅義行がそれぞれ担当しています。

カタルシスを味わう

ストーリー

東京・目黒の天恩山五百羅漢寺には「移動演劇さくら隊原爆殉難碑」があり、毎年8月6日の原爆忌には故人と縁のあった人々が集まって追悼を行っています。櫻隊の前身は昭和17年に誕生した苦楽座で、20年に櫻隊と改名し、演劇活動を続けていました。隊長は丸山定夫、事務局長は槙村浩吉、隊員に池田生二、高山象三、園井恵子、仲みどり、島木つや子、羽原京子、森下彰子、小宮喜代、笠絅子がいました。同年7月15日、当時は日本全国が空襲にあっていて、櫻隊は広島に滞在しています。仲間のうち池田は家族が被災して沼津へ行っていて、槙村は隊員補充のため帰京していました。結局、残り九人が8月6日、原爆の被害にあいました。壊れた家の下から丸山、園井、高山、仲は脱出しましたが、残りの五人は死亡しました。東京から槙村らが駆けつけましたが、丸山は16日に44歳で死去しました。園井と高山は六甲山麓の中井家に辿りつきましたが、高山は原爆で内臓をやられていて、20日に21歳で死亡。園井も翌21日、31歳で息を引きとりました。仲は字品の収容所を抜け出し、体を引きずるように東京の自宅へ戻りましたが、東大病院のベッドで死亡、36歳でした。小宮(30歳)、島木(22歳)、羽原(23歳)、森下(23歳)、笠(41歳)は焼跡から白骨で発見されました。

スタッフ

  • 監督:新藤兼人
  • 脚本:新藤兼人
  • 原作:江津萩枝

    企画:能登節雄、池田生二

  • 製作:日高宗敏、高島道吉
  • プロデューサー:溝上潔、新藤次郎
  • 撮影:三宅義行

    美術:重田重盛

    音楽:林光

  • 録音:永峯康弘
  • 照明:山下博

    編集:近藤光雄

    助監督:金高謙二

  • スチール:金子哲也

キャスト(ドラマ部分)

桜隊
  • 丸山定夫:古田将士
  • 園井恵子:未来貴子
  • 仲みどり:八神康子
  • 高山象三:川島聡互
  • 島木つや子:竹井三恵
  • 森下彰子:水野なつみ
  • 羽原京子:元松功子
  • 小室喜代:北川真由美
  • 笠絅子:坂上和子
  • 槙村浩吉:及川以造
  • 池田生二:川道信介
  • 八田元夫:内堀和晴
日本移動演劇連盟
  • 赤星勝美:黒川博之
珊瑚座
  • 乃木年雄:大林隆介
  • 沢道子:石川裕見子

その他
  • 藤堂:小坂井秀行
  • 中井夫人:岩倉高子
  • 羽原の父:江藤漢
  • 羽原の母:上杉二美
  • 散髪屋:広瀬昌助
  • 太田怜:清水一男
  • 清水善夫:内田正樹
演劇関係者
  • 千田是也

  • 滝沢修
  • 小沢栄太郎
  • 宇野重吉
  • 松本克平
  • 嵯峨善兵
  • 浜村純
  • 倉田地三
  • 殿山泰司
  • 長門裕之(映画で園井と共演)
  • 河原崎国太郎
  • 山本安英
  • 杉村春子
  • 桑原経重
苦楽座・桜隊・日本移動演劇連盟関係者

  • 槙村浩吉(桜隊事務長)
  • 池田生二(桜隊俳優)
  • 利根はる恵(苦楽座女優)
  • 赤星勝美(日本移動演劇連盟職員)
珊瑚座関係者
  • 乃木年雄(珊瑚座座長)
宝塚歌劇団関係者

  • 葦原邦子(宝塚歌劇団17期生)
  • 桜緋紗子(宝塚歌劇団18期生)
  • 内海明子(芸名=加古まち子、宝塚歌劇団27期生)
その他
  • 有馬智寿

  • 日高宗敏(五百羅漢寺貫主)
  • 丸山由利亜(丸山定夫の姪)
  • 清水善夫(仲みどりを診断した東京帝国大学の医学生、証言当時は医師)
  • 太田怜(仲みどりを診断した東京帝国大学の医学生、証言当時は医師)
  • 神田泰雄
  • 木上ヌイ
  • 江津萩枝(原作者)

移動演劇 桜隊 

移動演劇 桜隊を知っていますか?広島での巡演中に9名全員を原爆で失った劇団です。移動演劇隊「桜隊」は、1945年8月6日広島県内を巡演中に爆心地から750mの宿舎で被爆し居合わせた9名全員の命を奪われました。

メンバー

メンバーには、存命であれば戦後の演劇界を大きく変えたであろうといわれる、名優丸山定夫。元宝塚スターで「映画無法松の一生」で全国のファンを魅了した園井恵子。裸体にシーツをまとい避難列車で帰郷し、東大病院へ入院し原爆症一号患者として亡くなった仲みどりなどがいます。近年では、新藤兼人監督映画「さくら隊散る」、新国立劇場の柿落としに上演された、井上ひさし作「紙屋町さくらホテル」などの作品にもなりました。

桜隊原爆殉難碑

戦後、徳川夢声氏の呼びかけで、多くの関係者の協力により目黒の五百羅漢寺に「桜隊原爆殉難碑」が建立され、今日まで毎年8月6日に「移動演劇・桜隊原爆忌」として追悼会を催しております。

桜隊原爆忌のあゆみ

  • 1946年9月17日:築地本願寺にて移動演劇連盟や演劇界、映画界と一般などによる合同慰霊祭が営まれ、碑建立の話が出ました。小山内薫碑のある多摩墓地や友田恭介の墓所九品仏、築地本願寺などが候補に挙がり、建立費も募集されましたが、旧円封鎖やインフレなどにより立ち消えとなりました。
  • 1952年9月:9人の遺骨を預かる徳川夢声が羅漢寺に相談。住職の尼僧が同意、寺にあった大きな石と台石に将軍吉宗の腰掛け石が提供されました。碑銘「移動劇団さくら隊原爆殉難碑」は徳川夢声が書き、背面には柳原白蓮の短歌「原爆のみたまに誓ふ人の世に浄土をたてむみそなはしてよ」が刻まれました。
  • 1952年12月8日:除幕式。遺族、演劇人、一般など多数参列。平和の鐘が鳴り、尼僧20余人読経の中で除幕。9人の分骨が納められました。
  • 1953年8月6日:碑の法要。夢声渡米中のため、白蓮が主催。安井誠一郎東京都知事ら参列者およそ200名が焼香しました。
  • 1975年8月:鎌倉にできた丸山定夫碑前に参集した16人が準備会世話人となり、「桜隊原爆忌提唱」の文を作り入会募集を始めました。
  • 1975年:10月19日:50余名の参加者を得て追悼会を開催しました。
  • 1977年:三十三回忌には、参加者は80余名でした。
  • 1985年:この頃から、参加者は100名を超すようになります。
  • 1988年:新藤兼人監督映画『さくら隊散る』完成・上映。この頃から参加者は百数十名となりました。
  • 1993年:広島以外で亡くなった園井恵子、高山象三、仲みどりの3人の名が原爆慰霊碑の名簿に書き加えられ、9人全員が原爆の地広島に揃いました。
  • 1999年:会終了後、これまで遺族・関係者中心の開催から、関係者がいよいよ少なくなって事実が風化していくことを憂慮して、運営を一回り若手層に移行した事務局制を採りました。
  • 2005年:被爆60年を記念して企画された、オリジナル脚本による『朗読構成・桜隊2005』には、文学座の北村和夫さんと劇団民藝の南風洋子さんの出演が実現し、開催が土曜日ということもあって、約330名、会創設以来最大の入場者得て、大成功を納めました。
桜隊原爆忌の会歴代会長
藤原釜足・佐々木孝丸・小沢榮太郎・滝沢修・浜村純・現会長・中村美代子(元俳優座)
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